[本]となり町戦争
三崎亜記
「となり町との戦争のお知らせ」という広報のお知らせ
この文に引かれて、申し込みした本がようやく届きました。
私が見つけた本は図書館に申し込むと大体既に何人待ちの状態になっているのが最近の常態。
「皆なんで本買わないかなぁ・・・?」と、思って、結局皆私と同じだ?と思う。多分これからはもっと待ちが長くなりこそすれ、短くなることはないのだろう。高齢化+年金頼り=図書館利用。でも税金収入の低下は図書館の充実も低下?→待ち時間は長くなる・・・というわけで、今現在「東京タワー」は530人待ち。昨年から1年で500人前へ進みました。TVドラマ化、映画化・・・多分今頃私の後ろにも500人ぐらいはいるのでしょうね。話題になった時点で「読もう」と思うことはもうそれだけで遅れを取っている、話にならないということでしょうか。
さて、この本ですが、ドラマ化はありえますかね?いや、ないでしょう!え、あるんですか?どうやって?って思う本です。
読み始めて「う~ん!」「アイザック・アシモフを始めて読んだ時を思い出した・・・また大げさな!」
「ウ~ン!」「星新一さんを思い出さない?ちょっと方向が違うでしょ?」「うぅん!うーむ、ウ~」
でもちょっとSF?ウ~ン?ちょっとサスペンス?う~ん?
さて、これはなんでしょう?
設定も文章も不思議ふしぎフシギ・・・でも、読まされちゃう。新しいフシギ。
不条理だの、構造破壊だの、なんだのと今更こじつけますか?
さて、でも、面白いんです。でも・・・やっぱり「でも」なんです。
その気になれば?なんか色々引きずって来れそうです。
好き勝手に色々考えることも出来そうです。読み終わってさて?そのまま捨て置くことも出来ます。
「ふん、おかしな話を読んだわ!」でもいいのでしょうね。
書いた人も何も要求しなさそうです?いやそんなことは有りませんね。
書く人には書きたいことがあるはずですから。
勝手に投げ出して「お好きにどうぞ!」ってな感じを受ける本ですが。だけど思いや思考をめぐらそうと思えば幾らでも深読み?もできそうなので・・・妙に面白いです。
おかしな叙述です。
抽象的で、確実に。象徴的で、具体的に。劇的で、平穏に。
事務的で簡潔で平明で役所的紋切り型で潤いがあって、で相殺しあう言葉の穏やかな当たり前そうな並べ方。
おかしな登場人物です。
具体的にいて、あくまで抽象的な陰みたいな存在。
香西さんも主任もはて何を言わんとするのか・・・裏の裏を除き見ても裏に明解な陰も無いような明けらかな難解な存在?
大体語り手の僕の感覚が頼りなのにその感覚が淡々で坦々で単々でそれも妙なんです。人かぁ?
「ウ~ン、そうかぁ。」と思ったのは二ヶ所。
「僕たちが戦争に反対できるかどうかの分岐点は、この「戦争に関する底知れない恐怖」を自分のものとして肌で知り、それを自分の言葉としてかたることができるかどうかではないかと。スクリーンの向こうで起こっているのではない、現実の戦争の音を、光りを、痛みを、気配を感じることができるかどうか。」というところでこの作品の主題を感じ、「だけどぼくは香西さんまで『いつのまにか』失いたくはないんだ。」というところで、主人公が人間である事を感じた!のです。
それで、世界中で今現在進行中の戦争を頭の中で考えているのですけれど・・・そうすると「主任」の言葉は、存在は、頭の中で恐怖を呼び起こすようです。
亜記さんて男の人でしょう?男の人の文章ですよね。それにしても実に丁寧に練れていて洗練されていませんか?