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[本]東京タワー  オカンとボクと、時々、オトン


リリー・フランキー著


図書館に予約して千人待ちを超えたのは初めて。
ハリー・ポッターで600人待ち、ダ・ヴィンチ・コードで500人待ちっていうのはあったけれどね。
これってどういうのでしょうね?私みたいに気の長い人が世の中にはこんなに居るってことでしょうか?
おかげさまで待つこと後900人余り・・・というところで貸していただけたのでこうして、来年?を待たずに感想を書けるわけです。
貸してくれる時、彼女は「今までで最高に泣けた!」と、言っていましたからどうやら「広告の通りらしいぞ!」と、あらかじめ心の準備?をすることが出来ました。それが良かったのかどうなのかは分かりませんが。


「オカン」・・・「オカン」かぁ、「オカン」ねぇ・・・私が子供の頃は「かぁちゃん」と「おかぁちゃん」と「おかぁさん」が3分のⅠずつって感じだったなぁ。
参観日に当てられた子が「かぁちゃんが・・・」と言いかけたら、後ろに居たお母さんが慌てて「おかぁさんって言いなさい。すいませんねぇ、先生、躾がなってなくって。」と大声で言ったので、教室中大爆笑しちゃったのを思い出した途端、母の思い出がぞろぞろぞろぞろ這い出てきてしまったのには参ってしまった。
本を読みながら本の中の「ボク」の思いに泣けて、自分の母の思い出に泣けた。
それにしてもリリーさんの世代ならお母さんへの思いをこんなに素直に書くなんて有り得なかっただろうに・・・?
「オカン」だから言えたのかもなぁ?
転勤で地方を回っていたせいか、まとめて数日休めると必ず夫は実家へ家族連れで帰った。
「留守にするのでお願いします。」と近所に声をかけると「よく帰るねぇ、ご主人マザコンなのね。」と、何度か言われた。「アア、そうなのか、これがマザコンかぁ?」と、思ったものだ。
しかし娘が母と付き合い、父を大事にしても「優しいお子さんで!いいわねぇ。」と、言われるだけなのに、男の子が親を大事にするとおかしげに言われるのはつまらないわねぇ。(私も言っちゃったなぁ、スマンこって!旦那様)
娘を持った友人たちは、娘が結婚しても娘と遊んでいるくせに、その娘が夫の故郷に連れて行かれると「可哀相、うちの婿、マザコンじゃなけりゃいいけど?」なんて言ったりする。
「おい、おい?」と息子しか持たない私は思う。
他人のことなら見えるんだけど・・・。
この本を読んだ人が皆、素直に「大事な者は大事!」と思うことが大事!と思えるとといいなぁ・・・、でも「女の子の読者の方が圧倒的に多そうだぞ?」と危惧もする。だって、女は自分が見えないものねぇ(へへ)。
男の子の方が争いがいやで、「女の軍門に下る平和」を選ぶ率が高そうだからなぁ・・・なんて、自分を含めて(自戒します・できるかな)周りの女を見回している。
リリーさんも当時独身だったからだなぁ・・・?なんてウラヤマシサも自分から隠そうとしてみたり。
「筑豊の子」と言えば、私の世代は「にあんちゃん」を思い出すだろう。「にあんちゃん」を思い出すと、あの当時の筑豊の厳しさも甦えって、リリーさんの「オカン」や「オトン」の道程が忍ばれる。
「オカン」は並々ならぬ、並々以上の、最大級でも追いつかぬほどの、愛情をすべて息子につぎ込んだのだろうけれど、「オカンの人生は18のボクから見ても小さく見えてしまう。それはボクに人生を切り分けてくれたからなのだ。」というところで、そう感じてくれただけで「オカン」はもう満足しただろうなぁと思える。
息子たちの「臍の緒」は私にも宝。いやいや、取り出すのはやめとこ。
読み始めた時にはこの文体が感情を韜晦してくれるだろうと思ったが、後半すっかり流されてしまった。
お母さんは息子から小さく見えなければいけないのに、夫の母も私の母も私もちょっと(丸々と!)太りすぎだよなぁ・・・とため息をつくことで、かろうじて堰を保とうとしていた・・・。
面白い文章、表現、観点もこの本の中には溢れていた!この文体で、素直に読ませるなんて、不思議だなぁ?
 

          

           

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