[映画]パンズ・ラビリンス
監督 ギレルモ・デル・トロ
出演 イバナ・バケロ、セルジ・ロペス、マリベル・ベルドウ、ダグ・ジョーンズ、アリアドナ・ヒル、アレックス・アングロ、エウセビオ・ラサロ、バコ・ビダル、フェデリコ・ルッピ
重層するラビリンス
魔法の国の王女がさ迷い転生する彼女の魂がさすらう時空を超えたラビリンス
フランコ政権下の独裁を象徴するビダル大尉とゲリラ戦を展開する民衆が織り成す人間界の人間たちがさ迷う現実のラビリンス
母の上に覆いかぶさってくる死の影と義父の残虐さから逃避したいオフェリアがさ迷うパンの世界のラビリンス
オフェリアの生きる世界も悪の迷宮なら彼女の魂が逃れようとすがる世界も魔の迷宮。どちらにも明るく美しい安らえる世界は見出せない。
これをファンタジーと言うのは間違っている・・・ダーク・ファンタジーですって?現実の闇から逃避の闇へこの心の旅がファンタジーなどと言うなら・・・でもやっぱりこれは「本当は怖い」と名づけられる童話と同じような?心の中に住む魔物の紡ぐラビリンスが奏でるファンタジーってことでしょうか?
死が甘美に見えてしまうなんてことが子供の心を舞台にした物にあっては欲しくないことだと思いながら、この映画が紡ぐラビリンスに私も囚われてしまいました。
いい悪いも、好き嫌いも超越してこの映画の印象の深さは恐ろしいほどのものでした。忘れられない映画の一つになるでしょう。
混乱と恐怖の時代とその時を生きなければならなかった子供の心の喘ぎを映像にするのになんと言う物語を紡ぎだしたのだろう・・・と、席に沈み込んだ私は殆ど恐れの眼差しでこの少女オフェリア自身が
彼女の現在の生活の中にある恐怖と不安から生み出してのめりこんでいくラビリンスを見つめていました。
秋の終わりの生き延びた蟷螂のお化けみたいな虫に「妖精さん?」と呼びかける少女の感性そのものが時代のゆがみと彼女を取り巻く世界の乾きを既に象徴しているようで、その虫が変化してなった妖精は妖精と言うよりもまるで寺院の軒から除き見ているガーゴイルのようで、そもそも付いて行きたいような姿ではない。それなのに魅入られるように付いていく少女はそれだけ現実の過酷さの中で喘いでいる。冒頭の彼女の喘ぎは全編を通じての彼女の心の悲鳴のように低層を流れている。詞の無い子守唄がその悲鳴に不気味な優しさで纏わり付く怖さ。
勇敢に挑戦した第一の試練に対し、誘惑に負けた第二の試練、そして命であがなった第三の試練。
死んでやっとたどり着く安住の心地よい世界。現実の世に残された弟と比べて彼女の行き先に安らぎを感じてしまう悲しさ。
残虐な父と離れても弟の行く末はパルチザンの過酷さに彩られるに違いない。その父も彼と彼の父親の記憶のラビリンスの囚われ人でその息子の行く末もまた地上の果ての無いラビリンスだ。オフエリアを迎える王妃が地上で哀れにも弱かった母なのがまた悲しい。
エンディングの音楽に心の底まで怖さを秘めた悲しみに満たされてしまって、映画の心をこれほど見事に要約した音楽はないと思いながら明るくなるまで浸っていた。
それにしても子供が心から楽しめるワクワク感に満ちて遊べるようなこの世を作ってやりたいものだなぁ・・・私に出来ることがあるのだろうか・・・だがその前に大人こそ救われなければ・・・