[映画]クラッシュ
監督 ポール・ハギス
出演 サンドラ・ブロック、マット・ディロン、ドン・チードル、ブレンダン・フレイザー、ジェニファー・エスポジード、ウィリアム・フィクトナー、テレンス・ハワード、ライアン・フィリップ、タンディ・ニュートン
これも見たかったのに見落とした映画。こんな企画しょっちゅうやってくれたらなぁ・・・と思いながら豊洲ユナイテッド・シネマに足を運んだ。しかも800円なんて嬉しいなぁ!
この映画を見ながらアメリカを憧れの象徴のように見ていたのは一体何年ごろまでだったのだろう・・・と、考えていた。
何時ごろからかアメリカは「何時か行きたい国」ではなくなり、息子が社会人になってNYに赴任した時には「行って欲しくない国」になっていた。「フリーズ」という言葉を息子は知っているか確認したものだったが。
クリント・イーストウッドが「フェーバーさん」と言っていた頃「サンセット77」のクーキーを笑ってみていた頃、アンディ・ウィリアムス・ショーを見たくて走って学校から帰ったあの頃、確かにアメリカは輝いていたけどなぁ・・・
「それでもボクはやってない」を見た後この映画の警官を見ると、あの日本の刑事もこの映画に出てくるアメリカのおまわりさんも紙一重ジャン?ね。今日は本物の犯罪者を検挙し、今日は無実の人を締め上げる?そして威光を笠に着る横暴、ある時はその笠が本当に役に立つ?物事の裏と表、表裏一体。
アメリカのある町の1日をポコッと切り取るとこんなものなんだろうな。そして多分日本のどこかをポコッと切り取るとこれに近いような状況がきっと見られるんだろうな。そしてそのポコッはどこでもいいんだ。
それを高みから冷ややかに見ている俯瞰図だけだったら、この映画は心に染み入る何ものをも与えなかっただろうけれど、昨日の彼女は今日の私、でもって昨日の彼は今日のあなた?あなたにも色々な日があるでしょう?とその1日を切り捨てていないから多分そっと見ていられたのかなぁ?
人の行為は一面じゃ測れない。そう、確かにそうよって。
人という生き物の一筋縄ではいかない揺らぎの様々な相が活写されている魅力かな。
そう「禍福はあざなえる縄の如し」って言葉が思い出された。ちょっと違うけれど。でも人の善悪もそう。なった縄のどちらかの面がそのときその弾みで浮かび出てくるようなもので、人のある行為がある人には打撃になり、ある人には救いになる。ここで振り上げたこぶしが、思いも寄らないところに落ちる。
この瞬間誰かを救ったものが、次の瞬間誰かの致命傷になる。
誰かの言った言葉が回りまわって誰かをとんでもない方に動かす。
悪い人も悪いばかりではないし、善意の行為が結果的には非道になる。
「生きていくということはこんなものだよ。」
池に落とした小石が起こす波のように人の行為言動の起こした波動が次々広がっていくのを絵にするとこうなるのか!なんて、妙に悟りながら映画を見てしまった。が、疲れた!
人は誰かの何かの影響を被らずにはいられない。
丁度、以前にマット・ディロンの映画をマット・ディモンの映画と早とちりして見てしまって、マットが出てこない、まだ出てこないといらだったように?で、八つ当たりでディロンを嫌いになっちゃった(ディロンさんいい迷惑だ!)・・・そんな笑って済まされる動かされかたならいいけれど、大抵はどこに波動が打ち寄せられたか知り得ないんだから・・・だからのほほんと生きていられるんだ・・・なんてね。
そして人種が絡めば、宗教が絡めば、その複雑さは縄目なんて目じゃない!私たちだって肌の色が殆ど変わらなくたって差別から無縁ではいられないのだし。差別はあらゆる物から生まれるものだから。
鍵屋のお父さんの娘への愛情がよかったなぁ。だけどもし玉が入っていたら・・・あの父親はあんな話をした事をどれだけ悔やむことになるだろう・・・正義感のライアンのおまわりさんはどんな警官になっていくんだろう・・・ドン・チードル刑事の母親は自分の言ったことの影響がどんな風に出るか気付きもしないで死ぬだろうなぁ・・・とか、色々有って、だからってサンドラのいらつき女がただのいい人になるってものじゃなかろうし・・・行く末様々に考えてしまって・・・だからって何も言わず動かず関わらず生きていけはしないし・・・あぁ、眠れそうも無い?