[映画]上海の伯爵夫人
監督 ジェームズ・アイヴォリー
出演 レイフ・ファインズ、ナターシャ・リチャードソン、真田広之、リン・レッドグレーヴ、バネッサ・レッドグレーヴ
「カズオ・イシグロ」の原作というだけで私も見たいと思っていたら、案の定「日の名残」を最高の映画の1本だと思っている父からの誘いがあった。
カズオ・イシグロさんの作品を本で読んだことが無いので、経歴は全く知らないが、この映画も、見終わって「英国」の香りがしたと思った。日本人の名を持つこの人が描く「英国」は妙に魅力的だ。
「日の名残」はまさに英国映画だったが、この作品は上海が舞台で、しかもアメリカの元外交官が主人公の映画なのに何故「英国」を感じたのだろうかと考えてみた。
主人公のジャクソンを演じるレイフ・ファインズが英国人然としているからかもしれない・・・「ナイロビの蜂」の見事な英国人の役柄がまだ目に新しいからかもしれない?
何故イギリス外交官にしなかったのだろう?その方が自然だったろうにと思うが・・・あの当時上海の外国租界ではないところに店を持たせるにはアメリカ人の方が都合良かったのだろうか?などと当時を知らない身としては色々思いあぐねてしまった。
それほど英国ぽさをこの映画から感じ取れたということだろうが・・・レッドグレーヴ家のせいかもしれない。主な女優陣は英国人の母(ヴァネッサ)と娘(ナターシャ)と叔母(リン)で占めていたのだからかも?
それにしても「レッド・ドラゴン」のレイフ・ファインズを見た後で「ナイロビの蜂」を見たときの「嘘っ!」っていう感じはもう無い。
むしろこの紳士的な役柄こそ「この人のものだ!」と思えるところが凄い!これで私、完全に彼のファンになってしまいそう。
まぁそれはさておき、この映画の魅力は1936年前後の上海のなんともいえない猥雑な多国籍的魅力とエネルギーの表現にあった。
フランス租界とか英国租界とかでの一旗挙げ組や難民、権益に遅れを取るまいとする日本人など怪しげな人々の坩堝だったのだろうか?
その感じがこの作品をただの風変わりなロマンスものではないものに昇華せしめていると思った。
町の描写、「ホワイトカウンテス」やそのほかの社交場の描写に歴史の流れが覆いかぶさって醸されてゆく雰囲気が魅力だった。
そして見ているうちになんか妙に変なことに気を取られた。
中国という国はあの当時の列強による様々な侵食を忘れたのだろうか?阿片戦争後、様々な国に齧られていたということはどういう記憶になっているのだろうか?とか。
伯爵家の人たちは香港に行ったが、ユダヤ人と伯爵夫人とジャクソンたちはマカオに行くと言っていたけれど・・・どっちが正解だったのだろう?ジャクソンたちには愛という明るさが、ユダヤ人一家には知性という明るさがあったけれど?とか。
伯爵夫人が一家を食べさせていたけれど、ロシアも大家族主義なんだ。そして誇りというものは死ぬまでに随分とじたばたあがくものなんだ・・・とか。彼らはあの後どうやって生きていったのだろう・・・?
真田広之さんの演じるマツダがとても堂々としていて良かったなぁ・・・外国映画の中の日本人がやっとこの頃安心して見られるようになってきたなぁ・・・(ラスト・サムライ以降?)とか。
「伯爵夫人の持ち味?」の悲劇性と諦めがあの混乱の中で頼られることの嬉しさと頼れることの歓びとに変わっていったのを見て、娘のはつらつとした様子を見ていて、香りの良い映画だったなぁ・・・と思いました!