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[映画]太陽


監督  アレクサンドル・ソクーロフ
出演  イッセー・尾形、佐野四郎、桃井かおり、つじしんめい、ロバート・ドーソン


さーて、何から書けばいいのかな?
シネパトス単館上映なので仕方が無い・・・と、30分前に映画館へ言ったら、長蛇の列(あの映画館の収容人数にしては)、案の定立ち見ですって。座りました!
不思議な映画でした。
色調といい、全体のトーンといい、リズムといい・・・日本映画なんだと感じてしまいました。
勿論登場人物は非常に少ない映画で、しかもその殆どが日本人ですから、そうなって当たり前と言えばそうなんですが、ロシア映画なんですね、これが!
私が生まれたときにはもう昭和天皇は人間でしたから、戦前・戦中の教育を受けた人々の混乱は知らないのですが、その天皇の人間宣言を録音した技師が自裁したと言うことはこの映画で初めて知りました。
この映画のこの一瞬で天皇が人間だと言う私たちにとって余りにも当たり前のことに当時の人々が受けた衝撃というものを知りました。「The Sun.」って言葉が一度出てきました!
大体私たちは授業で戦争前後の事を習っていません。
戦国時代から明治初期までを猛烈に熱を持って何時間も掛けて教えてくれた歴史の先生に「学年が終るまでに教科書終らないぞ?」と心配していた私を思い出しました。
高校二年生だったでしょうか。
学年が終る頃その歴史の先生は「教科書の残りは自分で読んでおけばいいでしょう。入試には出ません!」と言ったことまで思い出しました。
受験校の受験予備軍だった私はそれで安心してしまってその先は読みもしなかったのだということも。
だから当然自分の子どもたちがその頃の歴史を習ったのかどうかと言うことさえ私は知りませんし、別に気にもしていませんでした。
この映画の面白いところは?と言う言い方は合っていませんね。興味深いところは・・・私は大和絵の屏風を思い出したのです。
金箔の地に雲があちこち書かれたあの屏風絵です。
あの雲の役割です。省略も飛躍も襤褸隠しにも、自在に使われるあの雲です。
この映画も、人間宣言の録画場面は流しませんでした。
ただ天皇の「ぶつぶつ」と最後のほうで侍従長に天皇は「あの青年はどうしたかね?」と言う質問で表現しています。
そしてその答え。その反応。あの反応は人間の反応でしょうか?神の反応でしょうか?私には分かりませんでした。
他にもその手法を思い出させられたところが随所にありました。
イッセー・尾形さんの天皇の造形はあの口もごもごの最初の瞬間から(私の記憶の中の昭和天皇はいつもああでしたから)昭和天皇として違和感なく収まってしまったので、画面での彼の行為すべてをそのまま天皇のした事、言った事として受け入れてしまいました。
神としてでも、人間としてでも、悲しいくらい、不思議なくらい中途半端な?極端に不足している?言動で、時々観客の間から漏れた失笑や哄笑(普通の笑いも)は尾形さんの演技の力に負うところが大であったにせよ、お気の毒な生涯だったと思わずにはいられませんでした。
私が戦前・戦中・戦後の時代の歴史教育をなにがしか受けていたら、きっとこうは行かなかったでしょう。
外国の監督が撮った映画で天皇が神から人間になった短い時間の変化を知り、受け入れてしまったと言うことを正直残念に思います。(受け入れられるくらい見事な構成の映画だったと思います。)
あの時代の先生たちはもっと真摯に時代を次に担う子どもにきちんと歴史を見つめる事を教えるべきでした。
「自分の怠惰を棚に置いて・・・!」とも思いますが、戦後置いてきぼりにしたものが今の日本を苦しめる結果になっているのではないかという気もしましたから。
それにしてもマッカーサーとの会談。本当にあんなだったのでしょうか?
マッカーサーはあの会話で何を知ることが出来たんでしょう?
原爆を落とされたことに関する会話、マッカーサーの真珠湾言及の切り返し。「私は命令していません。I don’t know.」って言いましたね?
私も第二次世界大戦とその敗戦に関しては「I don’t know.」です。情けないことです!

          
           

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