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[本]日本婦道記


 
山本周五郎著


「私の大好きな短編集である。」
ってことは、前にも書いているかもしれない。
先週先々週と私は忙しかった!自分の用件も友人たちとの楽しい会合もあったけれど夫の趣味の旅行へのお付き合いもあったし。
それはそれでとてもいい時間だったのだが、根本的には私は一人で静かに居たい人なのだろう。
身体ではなく人と会うことが多くなると気持ちが草臥れる。
まさにこの字のごとくクタット草が踏み潰されて倒れ伏したような気分になるのだ。
特に知らない人に会わなければならない時はなお更。割合、情緒安定型に見られるのでそれに気付く人はあまり居ないのだが。
そんな時これを読む。
気持ちを奮い立たせ、しゃっきりし、こんな自分じゃいけないと叱咤するために!とも言えるかもしれないが、反面大いに泣けるからかもしれない。泣くと誰はばからず心がむき出しになって表れて、それを洗い晒して、リサイクル?リフレッシュ??出来るような気がするから。
つまり新しく立て直すための1冊なのだ。
勿論若い人が今読んだら、反発の方が大きいかもしれない。
でも自分で決めた道を自分なりに誰にも知られることも無いまま筋を通して生きていく女性たちの気迫に私は打たれてしまう。
この中の11の短編のうち、その生き方について理解が出来る女性の数はそうは無い。
多分私にしてからがもうこんなに滅私では生きられない。凛々と言う音色まで聞こえてきそうだ。
けれどそういう事を別にして、彼女たちは清清しく、潔く、強い。彼女たちに包まれて助けられて生きたことに気が付かない夫や子供たち兄弟姉妹が居ても構わない。誰に知られることもないまま終るその見事な彼女たちなりの選択と実行力に敬服する。気が付いて認められることなど殆ど無い。感謝される事も稀だ。それでも彼女たちは行く!生き通す。
「風鈴」は私にはぐっと身近だ。弥生さまの気持ちは痛いほど分かるし、私も実はそうだった。っていっても、私は苦労はしていないけれど、みっともないことに回りの豊かさに目がくらむことがしょっちゅうあったから!
他の短編でも同じ事だ。その主人公が選び取るのはいつも茨の道で、誰も今では選び取りはしません。だから私は泣ける。素直に泣けます。
でもそれは自分はこんな茨の道にはいないでよかったという涙ではありませんよ。
そういう自分だったらいやだなぁと何度も振り返って、自分の気持ちを確かめたこともありました。でも違います。
一寸代償行為のような気はして後ろめたい感じはあるのですが。
彼女たちはいつも安易な道を取らないのです。
「辛かったでしょうね。」「大変だったでしょうね。」と手を取って撫でさすって上げたいくらいですが、彼女たちは「いいえ!」と微笑むだけでしょう。
いつも安易な道、楽な道をと選って歩いている自分を再確認して情けなさに泣けてしまいます。
この作品の中には「諭し」が多くあります。例えば「桃の井戸」の長橋のおばあ様など。現在身近にこんな風に諭してくれる人あなたに居ますか?それから生き様であなたに尊敬の念をかき起こしてくれる人が身近に居ますか?
この作品で読むこれらの諭しは私にはありがたく感じられます。
日本婦道記」という題名がいかめしいですが、とっついてみると確かに道は険しくありますがその道にちりばめられた教えや諭しは心優しく美しいものです。
こんな風に自分を確認すると、「明日は違う。」と自分を起こすことが出来そうなんです。
ま、2・3日で自分の道の石ころをさっさとどけてしまうんですけれど。そこがまた情けないところで・・・

          
           

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